柳澤栖香のプロフィール

水墨画家柳澤栖香(SEIKA)は現代日本水墨画壇の大御所 故 呉斉旺画伯に25年間指導をうけた門下生。
昭和10年代を信濃の国長野県佐久市平賀にて過ごした。
朝な夕な北に噴煙たなびく浅間山、南に女性的な北八ヶ岳を仰ぎ、時には千曲川畔にたたずみ信濃の国の詩情を身につけることとなった。
学生時代は同じく信濃の国生まれの<かな書>の巨匠故 稲垣黄鶴師にひらかな文字のたおやかさを学び 成人後は 往時に身につけた豊かで心優しい感性で美しい日本の風景を描いている。
その画風は呉画伯の影響をうけて日本の四季の自然の秘めたる奥深さを表現している。

特に信濃の国で育った柳澤栖香の水墨画には 長い冬は厳しく 短い夏は優しい自然に育まれて 生きるものへの優しい思いやりを表現した作品が多い。

最近は風景画のみならず静物画 人物画の分野での作品 も多く描き始めている。

恩師 故呉斉旺画伯のプロフィール

1917年富山県生まれ。1939年志村立美に師事。新聞、雑誌に挿絵を執筆。1964年内山雨海に師事。1968年墨画・新鷹会結成、会長。外務大臣賞、内閣総理大臣賞受賞他受賞。個展多数。現在、新鷹会会長、日本作家クラブ会員、国際墨画協会顧問、日中水墨画交流協会顧問他(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

出典『水墨画入門の基礎』より

晩年の画伯とその弟子達(2003年)

恩師 女流書家 故稲垣黄鶴師のプロフィール

長野県軽井沢出身の書家。軽井沢・追分宿の旅籠三浦屋の娘として生まれた稲垣黄鶴は、1歳の時、上田藩主の祐筆を務めた湯浅家の養女となったことから、幼い頃より書に親しみ、才能を現した。
東京女子師範学校を卒業後、中国・日本高等女学院の教師として請われて中国に渡り、さらに書を学びやがて終戦を迎え帰国後は、103歳までの 晩年を東京都武蔵野市吉祥寺東町で過ごした。
柔らかで力強く、変化に富んだ作風で故郷・軽井沢、信濃追分の風景に思いをはせた作品を数多く残し、軽井沢町信濃追分の泉洞寺にその筆塚と句碑が建立されている。.

出典「稲垣黄鶴・書の世界」と雨宮邸新座敷より

稲垣黄鶴 句碑と筆塚鶴句碑と筆塚(出典 軽井沢町)

黎明期の一化学者のプルフィール

工学博士和田野 基氏は 福田赳夫元首相 長谷川周重(住友化学元社長) 篠島秀雄(三菱化成元社長)と同じ明治39年丙午生まれの秀逸である。
福岡高等学校から昭和4年東京帝国大学工学部卒業。ドイツカイザーウイルヘルム研究所研究員をへて見果てぬ夢であった満州帝国吉林省吉林の満州電気化学工業の人造羊毛原料製造工場建設に携さわり、大東亜戦争終戦直前には府中の陸軍燃料所で航空燃料の開発に従事した。

戦後は高分子学会の要職を兼ね日本の化学工業の復興 高度経済成長の実現に尽力した。
業績として酢酸繊維素によるアセテート繊維やタバコフィルターを完成させた他 複数の著書 翻訳書でドイツと日本の化学工業の歩みを紹介している。